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漫画本以外の漫画の世界、成長に寄り添う漫画グッズ

漫画本以外の漫画の世界、成長に寄り添う漫画グッズ

1980年代初期に生まれた筆者が小学生の時、鞄と筆箱にはガーフィールドのキャラクターが、下敷きにはレディジョージィのイラストが描かれていた。写生用の画板には『ベルサイユのばら』のオスカーとマリーアントワネットが、ノートの表紙にはスヌーピーとドラえもんが描かれていた。漫画を本として読み始めるよりずっと早く、物心が付くずっと前から私達の暮らしの至る所に入り込んでいたのだ。

よく見かける一匹の黒犬から物語を始めよう

台湾史の研究者・鄭麗榕の家には、かつて1980年代に父親が日本旅行から持ち帰った漫画「のらくろ」(Norakuro)のキャラクター目覚まし時計があった。鄭麗榕は成人後に偶然、1935年に開催された「始政四十周年記念台湾博覧会」の園内鳥瞰図に「のらくろ」が描かれているのを見つけたことをきっかけに、父親が少年だった時代に読んだ漫画「のらくろ」にまつわる歴史の記憶を掘り起こした。

のらくろ(野良犬の黒吉、別称・のらくろ伍長)は1931年に田河水泡が創作した漫画のキャラクターだ。講談社の少年雑誌『少年倶楽部』に掲載されたのが雑誌における初載となる。擬人化された黒犬は当時のディズニー漫画の影響を受け、その造形にはアメリカのアニメキャラクターの面影が残り、プロレタリアの化身とされた。1933年に初めてアニメ映画が制作され、1938年には戦争を美化するためイメージキャラクターとしてプロパガンダに利用された。このアニメ映画は皇民化時代の台湾でも上映され、台湾人の生活の至る所でこのキャラクターは姿を現した。例えば前述した台湾博覧会といった場面や、学校イベントでは仮装行列のテーマともなった(陳柔縉、2018、185)

のらくろの旅物語は戦争が終結したからといって終わりはしなかった。漫画では従軍していた軍隊から普通の人のように一般社会に戻り、家庭を築き子供を作る姿が描かれた。1963年、手塚治虫の「虫プロダクション」によって日本で最初のアニメ『鉄腕アトム』が制作された。1977年にのらくろはテレビアニメの形式で放映され各家庭で人々が目にすることになる。漫画版は1989年に田河水泡が逝去した後も、弟子によって2013年まで連載が続けられた。

図1 田河水泡『のらくろ士官学校の巻』帯(少年倶楽部新年号付録、1935) 文化部収蔵漫画資料
図2 吉村清三郎「始政四十周年紀念台湾博覧会鳥瞰図」、のらくろの彫刻が画面左側中段に描かれている。 国立台湾博物館収蔵

紙から躍り出た漫画のキャラクター

のらくろの目覚まし時計にまつわる歴史学者のファミリーストーリーからも1980年代になってもこのキャラクターが台湾の家庭に姿を現していたことが見て取れる。日本で広く親しまれていたこの黒犬は出版社が周辺グッズを売り出す際のキャラクターとして最適だった。キャラクターが商品化されることで漫画というものが異なる世代の読者に対し物理的、時空的な距離を縮め、生活の一風景として人々の日常生活の記憶として刻まれることとなった。

講談社は早々と1930年代に「のらくろ」をキャラクターとして関連商品を売り出している。1914年に創刊された『少年倶楽部』は日本統治時代の台湾人にとって最も身近にあり児童文化と関わりのあった雑誌である。台湾の読者は雑誌を商店で購入したり、郵便局で購読料を振り込んで定期購読したり、図書館や友達から借りるなどして読んだ(游佩芸、2007、167)。雑誌本体も内容が豊富だったが、双六、別冊、イラスト、折り紙模型といった付録製品やコレクションも多彩で、明治中期以来の雑誌はこのように付録を付ける様式で発展していった。

深く愛されている漫画のキャラクターだった「のらくろ」は『少年倶楽部』の各種付録として多用された。当時、業者が著作権を取得する必要がなかった状況のもと、「面子」(めんこ、台湾では「尪仔標」と呼ばれる)といった安価な玩具の図案とされた。1920年代には印刷技術の進歩によって価格が下がり、大量に印刷物や紙製の玩具が制作された。同時に、人気の高いキャラクター、スポーツ選手、怪獣といったイラストも多用された。当時の児童や青少年の間における流行りの文化指標と言えるだろう。この玩具と漫画雑誌は台湾と日本の両国で貿易が発展するに伴って台湾にもたらされたもので、年配者たちには子供の頃の思い出や漫画としての養分になった。

戦後、「尪仔標」(面子)といった玩具には当時、人気のあった漫画作品の図柄が用いられ、子供たちが競ってコレクションした。1960年代中期に、台湾では「編印連環圖畫輔導辦法」(通称、漫画審査制度と呼ばれている法律)が施行され台湾の漫画出版産業に打撃を与えた。そのため20年間にわたって創作活動が大幅に制限され、断層が生まれた。この法律を規避するため、また、1975年に国立編訳館が日本の漫画審査の規制を緩めたことから、出版社は著作権を得ていない日本の漫画を翻訳したり、模写するなどして発行を始めた。日本の漫画雑誌を真似た付録を付けた『週刊漫画大王』、日本の少女漫画を掲載した『小咪漫画周刊』などがある。また、『尼羅河的女兒』(王家の紋章)、『千面女郎』(ガラスの仮面)、『玉女英豪』(ベルサイユのばら)、『好小子』(おれは鉄平)、『怪醫秦博士』(ブラック・ジャック)、『小叮噹』(ドラえもん)といった日本の漫画作品が海賊版という形式で台湾マーケットに流入したことで、台湾の漫画出版業が再び活性化したのだった。

同時期、台湾ではカラーテレビが普及し始めた。テレビ局が『科學小飛俠』(科学忍者隊ガッチャマン)、『無敵鐵金剛』(マジンガーZ)、『小甜甜』(キャンディ・キャンディ)といった人気のあるテレビアニメを放映したことで、日本アニメ作品は台湾で知名度を上げ話題を呼んだ。これが台湾人にとってアニメを体験する主要リソースとなり、また1980年代以降において台湾で漫画創作を行うクリエーターたちに多大な影響を与えた契機となった。アメリカ漫画からは『超人』(スーパーマン)、『蝙蝠俠』(バットマン)、『蜘蛛人』(スパイダーマン)といったスーパーヒーローシリーズの漫画が実写映画化されたものが放映され、これらの映像作品を通して台湾の人々はアメリカンキャラクターやその世界観に親しんでいった。

台湾の読者は海外のアニメ作品を広く歓迎したため、当然の流れとしてそのキャラクターが商品化されていった。台湾では筆者と同世代の人々は考え付くあらゆる生活シーンやグッズにおいて、アニメの要素を含んだ商品に囲まれていた。初期においては、ミッキーマウスやスヌーピー、ドラえもんに始まり、最近では『航海王』(ONE PIECE ワンピース)、『鬼滅之刃』(鬼滅の刃)などが人気がある。漫画のキャラクターがプリントされたグッズはもとより、図案だけの使用を飛び越え、作品内容を具現化したカードゲームやデジタルゲーム、映像作品や舞台化などが制作されている。また、聖地巡礼の旅として観光と結びついたり、作品世界を再現した遊園地や、デジタルと結びついたバーチャル世界が作り出されたりもした。漫画の作品やキャラクターは書籍といった紙の上だけに存在しているのではなく、ブランドセールスの方法で読書以外の体験へと転換され、読者と相互性を持つ新たな消費スタイルを生み出した。

漫画が書籍以外のスタイルと結びつくことは、科学技術や社会の発展と密接な関係がある。台湾では日本統治時代と戦後初期において比較的安価な紙質の玩具製品が普及していた。ただし、これらは小中学生を主要ターゲットとしていたため、戦後すぐの時代には数多くの文具や日用品の中で漫画のキャラクターグッズが出現した。これらの玩具、文具、生活用品の材質や形式、使用方法には台湾社会の変遷と製造業の発展の様子が色濃く反映されている。例えば、1960年代の台湾ではプラスチック加工業が成熟期を迎えていた。そのため、ブリキや紙製玩具に取って代わり、プラスチック射出成形された『尪仔仙』といったキャラクターを模した凹凸のあるプラスチック製面子(めんこ)のような玩具が製造され人気を博した。

圖3 『諸葛四郎大鬥双仮面』漫画及びキャラクター図案の面子プラスチック製面子、笑鉄面仮面 文化部及び国立台湾歴史博物館所蔵
圖4 台湾で1970年代に発行された日本の少女漫画風紙製着せ替え人形 国立台湾歴史博物館所蔵
圖5 カードコレクション冊子及び『尼羅河女兒』(王家の紋章)、『雙星奇縁』(『CIPHER』(サイファ))など日本の少女漫画のイラストカード 国立台湾歴史博物館所蔵
圖6 台湾でイラストが差し替えられたバットマンの漫画水筒人形。1990年代に正式に版権を得て販売された周辺グッズとバットマン人形 国立台湾歴史博物館所蔵

所有、シェア、コレクション。そしてアイデンティティ

社会学者のジャン・ボードリヤールは、現代社会において「物」は二つの異なった次元において存在するという。物の客観本意的な表示的(denotative)システムと、その延長にある共示的(connotative)システムだ。前者は物が持つ実用的意義を指し、後者は物が商品化、個人化、文化体系に入り込んだ状態を指す。消費者は物を通じて個人のアイデンティティや視点を表現するのだ。漫画の関連商品には、その物本体が持つ機能のほかに、社会とのコミュニケーションツールとして、またコレクションとしての価値が付加される。アニメ消費マーケットへの多彩なニーズに応えるため、日本ではすでに完成された産業システムが機能している。人気漫画のキャラクターをプリントした面子、カードやデジタルゲームは、子供が仲間とコミュニケーションを取り人間関係を構築するための大事なツールになると同時に、これら自分好みのキャラクターに関するグッズをコレクションすることで所有欲をも満たすことができる。漫画キャラクターの人形やコスチュームを手にする目的は、物本来の実用性を得るためだけでなく、手に取る過程において自己をその物の中に入り込ませるためにあるのだ。

漫画作品というものが流行と共に私達の所有欲をかきたてるのは、ストーリーやキャラクターに対する好意や共感があるため湧き起こるのだ。勇敢で聡明、武芸に優れた模範的な諸葛四郎、少女たちの初恋への想いを代言するキャンディ、不良少年が努力を重ねてチームメンバーとなっていく桜木花道…。読者はキャラクターの個性や経歴に自分の経験や想いを重ね合わせている。漫画を読むのは自己認識の延長ともいえる行為で、漫画や周辺グッズを仲間とシェアするのは、ある種の社交行為であり自己認識の方法でもある。成長過程において手にした漫画に関わるものは正規版か海賊版か、粗悪品であったか良品であったかを問わず、学校生活や日常を送る中で常に私達に勇気を与えてくれたのだ。

【参考文献】

洪徳麟、2003、台湾漫画閲覧、台北:玉山社。
陳仲偉、2014、台湾漫画紀、台北:杜威広告。
陳柔縉、2018、一個木匠和他的台湾博覧会、台北:麥田。
游佩芸、2007、日治時期台湾的児童文化、台北:玉山社。

【作者紹介】

溫欣琳(ウェン シンリン)
現在、国立台湾歴史博物館漫博組専門委員。漫画の熱狂的ファン。高校時代から同人誌販売会に参加しはじめ早20年。博物館員としての専門性と漫画ファンとしての自身の経験をどう結びつけるか試行錯誤を重ねながら、漫画博物館の可能性を追求している。